2015年4月25日。
気仙沼・前浜の次は岩手県陸前高田市「花っこ畑・希望の庭」に伺いました。

震災のあった2011年、代表吉田正子さんと「花っこ畑・希望の庭」の皆さんは、現在の土地より高台の津波の到達地点近くにひまわりの種をまき、花の苗を植え花畑を作りました。

その頃、東京では花の仕事に携わる人々が立ち上がり支援団体「花の力プロジェクト」が始動。震災からちょうど半年後の2011年9月11日、はじめて前の投稿の気仙沼市本吉町と陸前高田吉田さんのガーデンに、東京近郊の皆さんのご寄付やご協力をいただき花の支援に伺いました。「さくら並木ネットワーク」の活動の構想は、この時に生まれました。

2011年9月の気仙沼・陸前高田

当時、まだ倒壊した家々・建物、屋根には車や船が乗っているような状況だった東北。
しかし、様々な地区で、地域の皆さんのため・少しでも希望が持てるように、花を植えた方たちがいらっしゃいました。

そのおひとりが陸前高田「花っこ畑・希望の庭」の吉田さんです。
気仙沼と陸前高田の当時の様子は、下記のフォトムービーで伝えています。(気仙沼では、避難所から仮設に移ったお祝いで「大漁唄い込み」を披露してくださいました。フルバージョン約6分)

陸前高田”花っこ畑・希望の庭”の花と桜たち

あれから4年。陸前高田では大掛かりな嵩上げ工事が進んでいます。

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山からの土を運ぶための巨大なベルトコンベアーが建てられ、大きな工事車両が往来を繰り返す陸前高田。その奥に「花っこ畑・希望の庭」があります。

機械のシルバー・土の茶色ばかりが目につく中、色とりどりの花達が生きづくガーデン。
そのガーデンの植樹して3年目の桜は、特別に大きく育っていました!

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この土地は、吉田さんのイングリッシュガーデンとご自宅があった場所です。津波が”いのち”以外の全てをもっていってしまいました。

もちろん海の水も入ってしまい何も無くなってしまったその場所に、高台のガーデンに民宿が建設されることになったこともあり吉田さんのガーデンは移転しました。その際、先の「花の力プロジェクト」の活動の中で”花たちが元気に育つように”と、肥沃な土が運びこまれました。

多くの人たちの想いとその土と、吉田さん・地域の皆さんの想いに応える様に、強い海風が吹く中でも、桜は丈夫に健康に大きく育っていました!

植樹した時は、1年生の小さな苗木。こんなに大きくなるなんて!
陸前高田の桜は、イギリスのCharities Advisory Trust様の支援により植樹し石碑が設置されています。
肥沃な土を入れていない場所の桜も開花。この桜も元気に育っていますが、3年目の桜は品種にもよりますが、おおよそこのさくら位の大きさになります。

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このガーデンには、桜だけではなく様々な花や植物たちが元気に育っています。

写真の背景をご覧いただけるとわかるように、ガーデンの周りはほとんど嵩上げされ見上げる高さに土がもられ、大きな工事車両がずっと行き来を繰り返しています。

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花っこ畑の皆さんとお話ししていたら、気仙沼に伺った時に他の地域でボランティア活動をしていてお会いできなかった、自分たちの世代で出来る事を、と頑張っている三浦くんが陸前高田まで会いに来てくれました!
皆さんにお会いできてうれしかったです! ありがとうございました!

まだまだ、仮設住宅で暮らされている方々も多いそうです。今後の復興計画の中で、一日も早く安心して暮らせる日々が来ることを願ってやみません。

大船渡のチューリップ

陸前高田をあとにし、以前チューリップの球根をお届けした、大船渡市・仮設店舗ペイントハウスの「理容室ニユー清水」におじゃましました。ここでもそこかしこにチューリップの花が! 仮設店舗の裏の高台に建つ大船渡保育園のチューリップも拝見させていただきました。

園長先生他の皆さんも開花を楽しみにされていたとの事。チューリップでご縁が広がります。ありがとうございました。

ここで日没。一路、岩手県山田町に向かいました。