さくら並木ネットワーク設立当初から、ご支援・ご協力くださっている、報道記者・ディレクターの笠井さんは、お仕事の傍ら月に何度も東北を訪れ、被災地の現状と現地の方々の声を伝え続けていらっしゃいます。

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11月18日に福島県に行かれ、福島原発20Km内に植樹した現在の桜の様子と、桜を植樹された方の想いを伝えてくださいました。胸がいっぱいになりました。許可を頂いたので掲載させていただきます。

先日11月18日に南相馬市を訪れた時のこと。

原発20km圏内を車で走っていた時、去年4月に桜を植樹した場所(南相馬市下江井)を通りかかりました。「警戒区域」解除前に検問を通って植樹をしに行った桜です。

最近、「警戒区域」解除後の南相馬市の20km圏内は放射性廃棄物の仮置き場が徐々に建設され始めたこともあり、解体や除染の業者、そして地元の方々による荒れ地の整備活動が目に見えて活発になっています。

これまで、ひと気のまったくなかった桜植樹場所の周辺に私が車で通りかかった時、地元の女性の方たち7、8人が枯れ草の回収作業をしている姿が目にとまりました。

「もしかしたら、桜の植樹をされたご本人がいらっしゃるかもしれない。」と思い、声をかけました。

すると、普段はその方も同じ活動に参加されているのがたまたまその日だけ、用事があって参加していないことが分かりました。

私が去年、桜の植樹でその方にお会いした事情を話して名古屋から来ていることを伝えると、その場にいた一人の方が、すぐに携帯電話で連絡を取って下さいました。そして1時間後に、桜を植樹した元ご自宅の前で待ち合わせすることに…。

こうして去年4月の植樹当日以来、1年半ぶりに再会しました。

当時も映像を撮影していた私のことを思い出して下さって、その後1年半の間こと、また今後の生活のことなどをお話し下さいました。

 

桜を植えようと思った当初は、
「いつかまた自宅の庭で、近所の方々と集いたい。」
との想いだったということでした。

 

しかし、いまだに仮設暮らしが続く中で遂に「もう自宅には戻らない。」と決断されたそうです。
いま現在は、新しい住まいとなる集団移転先の準備が整うのを待っているそうです。

また、津波で酷く被災した元自宅の建物については、地域の仮置き場がまだできていない状況なので、解体後の廃材を運ぶ場所がないため、取り壊しまでは暫く時間がかかるかもしれない、とのことでした。

 

それでも1年半前に植えた桜の前で、真っ赤に色付いた葉っぱを愛しそうに触りながらおっしゃった言葉は、こうでした。

 

「この木、一度枯れてしまったように見えたことがあったんです。でも新しい芽が出て来た時には、すごく嬉しかった。」

 

私自身も、この1年半の間に、その木が枯れたようにみえた時期があったのを知っていました。その方もまた、住む事が出来ない元自宅を訪れる度、私と同じように、桜のことを見守っていてくれたと知りました。

福島原発20km圏内の桜
福島原発20km圏内の桜

私は毎回その場所に来る度に、ひと気のない状況を見ていたので、恐らく植樹して下さったご本人も、その場所にはほとんど来ていないのではないか思っていました。

でも、違ったんですね。心がじんわりと暖かくなり、嬉しく思いました。
そして続けておっしゃいました。

 

「自宅 には戻らなくても、この桜を植えたことは本当に良かったと思っています。孫たちにも、ここまで津波が来たことを言い伝えることが出来ますから。」

 

そして、最後にはこんなことも…

 

「地域に戻る人、戻らない人、きっと10年後にはみんなでお花見ができますよね。」

 

先の見えない、原発事故の処理が続く中、津波で被災した帰れない自宅の前で、こんな言葉を聞けたのも一本の桜の木がそこにあるからなんですね。

笠井さん。有難うございました。

今年の春、福島県で昨年植えたけれど枯れてしまった数本の桜の植え替えを行いました。
その土地の土壌や環境により桜の生育状況も違います。

植樹した1本の桜を様々な想いで見守ってくださっている方が、東北の地におおぜいいらっしゃいます。
現地の方々の想いのこもった桜を、来年の春また東北の地に数百本~植樹する予定です。

皆様の想いを桜に託し東北の地に届けます。

引き続き、さくら並木プロジェクトへのご協力・ご参加を宜しくお願いいたします。