東日本大震災から8年目の東北地方の3月11日は雨でした。
その前日にあたる3月10日に、宮城県石巻市大川地区針岡間垣さくら広場にて、間垣慰霊碑保存会主催の大きな植樹会が開催されましたのでご紹介いたします。

宮城県石巻市大川地区針岡間垣さくら広場

大川小学校の悲劇はよく知られておりますが、大川地区は甚大な津波被害に遭った被災三県各沿岸地域の中でも、特に住民死亡率が高かった地域と言われております。
北上川をさかのぼってきた大津波は、大川地区の一集落である間垣集落を堤防を破壊して襲い、155名のうち68名の住民の方達が尊い命を落としました。
その後間垣集落は人が住めない地域(災害危険区域)となってしまっております。

そんな間垣の方達が震災前に住まわれていた場所に慰霊碑がある広場が昨年完成し、今年正式名称「針岡間垣さくら広場」となって、このたびの植樹会となりました。
この針岡間垣さくら広場植樹会は間垣慰霊碑保存会のご尽力もあって、とても地元の方達の関心が高い企画となり、間垣集落の住民の方達だけで約80名がご参加され、広域の大川地区、石巻市及び全国の方達を含めると、約170名の方達がこの針岡間垣さくら広場の植樹を見届けようと駆けつけてくれました。

10日は雨予報でしたが、幸いなことに晴れやかな植樹日和でした。多くの方達の想いが天に通じたのかもしれません。植樹に先だち、慰霊碑保存会の木村会長やご来賓の挨拶をいただいた後、シンボルツリーの記念植樹と植樹記念碑のお披露目。この記念碑には保存会の遠藤事務局長が考案した「間垣の地を見守る 慰霊桜」と刻まれることになりました。

そしていよいよ植樹会本番。間垣住民や県外の方達が力を合わせ3~5名ほどの班をつくり、101本の桜を間垣集落の方達がお住まいになっていた広場に植樹。お孫さんや子供を連れてきた方達も多く、子供達の笑顔がこの日の天気とともに心温かい雰囲気を広場に作っていました。

この針岡間垣さくら広場は慰霊碑から4本の桜並木を構成されることになっております。慰霊碑から太平洋側に向かって順次植樹していきましたが、その一本一本を植樹していく方達の姿はとても美しいものでした。間垣集落及び大川地区の方達も感慨深いものがあったと思います。

お昼は同じ大川地区の長面の方達から新鮮な牡蠣としうり汁(ムール貝の汁物)のお振る舞いがあり、この針岡間垣さくら広場植樹会をご協賛くださったアトリエ・エビス様ご支援のおにぎりを参加者全員でいただきました。

故郷を離れていた住民の方達は久しぶりの再会に話が弾み、そして県外から来た方達は地元の方達とのいい交流の場となったようでした。
ご馳走様でした!!

8年前の東日本大震災の大津波により、間垣集落及び大川地区の方達の多くが故郷を離れざるを得なくなりました。しかし、災害危険区域になったとしても、長年住まわれていた方達にとっては、そこは紛れもなく心の故郷であり、住民の方達は地域の絆がいつまでも続いてほしいと願っているに違いありません。それが間垣集落の方達が口々におっしゃっていた「この桜が大きくなったら、ここでみんなで花見をしたい」という言葉だったのでしょう。だから、多くの方達が花咲く未来の針岡間垣さくら広場で再会できる日を夢見て、真剣ながらも笑顔が多かったのだと思います。

多くの方達の想いが集まれば、その願いはきっと叶います。
植樹当日の天気のように…。
三年後の春。
針岡間垣さくら広場で再会しましょう!

この宮城県石巻市大川地区針岡間垣さくら広場植樹会は、アトリエ・エビス様、豊島株式会社様、全関東遊技業共同組合様、マイライフ様、ナガイホシ様等にご協賛・ご協力していただきました。ご協力に感謝申し上げます。

またこの広場の最終工事確認が植樹会の8日前だったため準備時間がなく、全国の多くのボランティアの方達がお手伝いをしてくれて、無事植樹会当日を迎えることができました。
植樹会スタッフを担当してくれたボランティアの方達とともに厚く御礼申し上げます。ありがとうございました!